幸 希 の 誕 生 


    突 然 の 入 院  

妊娠7ヶ月の終わりまで、私はとても 健康な妊婦だった。つわりも吐き気はあまりなく、眠さが続くつわりだった。
ある日突然、発熱した…2008年11月26日だった。私は風邪だと思っていて、寝込んでいたんだけど、母がひょっこりと
来てくれた。車もないのにわざわざ自転車で…。夫に聞いたらしい。「風邪っぽいから 2〜3日寝てたら良くなるかも…」
と言ったのだけど、すぐに病院に電話を入れてくれ、事情を話して夕方だけど診察してもらえることになった。母は強し。

かかりつけの病院は、実家のすぐ近所の総合病院で、ちょうどいいことに母もよく知る産科の部長先生が宿直だった。
「あなた… このまま入院してね。」 と 軽ぅ〜く言われた…その時、私はそんなにおおごとだとは思っていなかった。

「だって、咳も鼻水もないんでしょう?喉も赤くない。じゃ風邪でもないのに熱があるっていうのは、おかしいことよ」   

「あの〜…パジャマとか歯ブラシとか取りに帰っていいですか?」←ダメ出し。おうちの人に持参してもらいなさい。

速攻で色々検査をしたところ、白血球値とCRP(ウイルス感染の数値)の値が非常に高いらしくその為の発熱だそうだ…。

なにかの『ウイルス』が体内にいるらしくて、退治の為、抗生剤の点滴が始まったけど、2日たっても全然変わらない。

点滴の薬は日々強いものになっていき、天井からぶら下げていたのが 今度は点滴の機械に時計がついたような精密に
一滴ずつ落ちる物に変わっっていった。かなり大きな機械でちょっと歩くのも ガラガラガラ〜〜〜…と大ごとに見える。


  3 日 が 過 ぎ て   

 
たしか 3日目を迎える頃、少しの出血も始まった。ベッドから一切 動いてはいけないと言われ、トイレもベッドの横に
持って来られた…それにしたってここは4人部屋。困るよ。大きなほうをしたい時はどうするのさ…って便秘にもなっちゃった

「どうか無事、3日過ぎますように・・・・」と心で祈っていた。それは 友人のご主人が 原因不明の発熱から 3日目に
ぽっくりと 亡くなったという話から…心からそう思っていた。とにかく怖かった…「赤ちゃん」は元気だったと思う。

3日たって 日曜日。面会に来てくれていた夫が帰宅する時間になり、妙に、すごく淋しさと不安を感じたのだった。
ムシの知らせだったのかもしれない。案の上、夜すごい腹痛が起きた。一晩中ずっと続いた。不思議な事に痛みに波がある。

痛みを こらえるのに「ウムムム〜〜〜〜!!」と思わずうなり声が出る位の痛みだったのだ。間隔は5分〜10分…。

結果として私は、帝王切開で2人の子どもを産んだので、陣痛ってものを知らずに出産したんだけど、今考えたら 
アレがもしかしたら陣痛だったのかなぁ?とにかく、ものすごい痛みだった。陣痛が始まってしまっていたのかも…

夜、見回りの看護婦さんに痛い事を伝えているのだけど確か、ずっと、我慢していただけのような気がする。あの時、
先生はいなかったのだろうか? とにかく「もう少し我慢してね。」と言うだけの対応だったような気がするのだ…。

翌朝、同室の人達が「昨日、すごく痛そうだったね」「しんどそうだったね」と言ってくれた。聞こえていたんだ。
私のうなり声が… でも翌朝には、「昨晩のあの痛みはなんだったんだ?」と言う位に痛みは引いてしまっていた。
しかし、夜になり、いつもは 私のお腹を蹴ったり、ぐにゅ〜〜っとまるで エイリアンみたいな動きを披露してた
赤ちゃんが、あまり動いていないような感じがした。看護婦さんに言ったら、超音波をしたり エコーをとったり。
なんとなく看護婦さんもそう思っているような雰囲気が漂っていた。とは言え、また、何かするすべもなく過ぎた。

     緊 急 帝 王 切 開  

翌日は入院してから4日目…。あいかわらず、体調は悪かった・・・・母は毎日のように面会に来てくれていたんだけど
「帰るね」という時、担当医が説明に来た。肝心な時、いつもタイミングよく横にいてくれているような気がする…。
先生が言うには、あいかわらず 白血球 CRP値共に数値がよくない。というか、いくら点滴したってちっとも
良くなっていない。私が しんどい様に 『赤ちゃんも しんどい』らしいのだ。あまり動いてないし…最近…。
このまま、お腹に入れておいたら…よくない。すぐに 出したほうがいい。帝王切開の手術は すぐにでも 
行いたいと言う。「いいですか?」  そりゃぁ、それが最善なのでしょう? だったら して下さい!

その頃の私は、きつい点滴の為に思考力もなく、筋肉に力もあまり入らず、体中がブルブルと震えているような
状態で、4日間連続で安静に横たわっていたので、ちょっと起き上がるとフラフラしたし、ぼ〜っと もう一人の自分が
自分の現実を見つめている… そんな感じがしていた。 へ(-_- へ)〜 まさか 魂が体から抜けてた…? へ(-_- へ)〜   

ある日はいい夢を見ていた・・・・目の前に川が流れていて、向こうにお花畑がある。綺麗なお花があって、黄色や
オレンジ 水色、薄紫の花まであるけど そんな 花、見たことないよね。 怖  へ(-_- へ)〜  向こう側の 

お花畑はとても暖かそうで、陽炎がゆらゆらと…。とても心地よさそうで、たまらなく行きたくなってくるのだ。

よく話に聞くように、亡くなった知り合いが呼ぶだとか、手を振っているとかそういうことはなかったんだけど…
あの時の空気の暖かさや、ふわふわとした感じや心地よさははっきり覚えている。これが臨死体験なのだろうか…。

先生は 赤ちゃんは1500g位あると言う。私は未熟児というものがどんなものか、早産というものが、どんなリスクを
もつものなのか 全く想像していなかった。というか無知だった。 普通の赤ちゃんがそのまま半分位に思っていた。

もうすぐ赤ちゃんに会えて、楽になれる…なんて思っていた。今 思うとこれが最初の 「インフォームド・コンセント」
の失敗だと思う… って言うか、たぶん、私もそんな時にリスクのある話をされてもどうしようもなかっただろうと思う。
当時、携帯電話が、一般化されつつあった。でも まだ繋がらない事も多かった。夫は 大阪の会社に勤める営業職…。
営業中だったら電源は切ってしまっているし、あの当時は地下鉄や地下街では、電話は全然つながらない状況だった…。
そんなインフラ事情だった当時なのだけど、緊急に先生が電話をかけたら通じたんだ…(社内に居ただけなんだけど…笑)

「奥さんの命を優先する為に手術をします。ご主人の手術同意の捺印がないのですが、手術を行っていいですか?」  
「えぇっ??! お願いしますっ」 横でそのやりとりを聞いていた上司の許可も降り(笑) すぐ病院に… with ハンコ 
ということで、急に私の周りに看護婦さんが何人もベッド周りに来て…採血、アレルギー反応の注射や検査、麻酔がよく効く為の 
注射をしながら、先生と私の間で問診があり、しかも ある看護婦さんは・・・その場で剃毛!(リアルですみません 笑)    

青〜い手術の服に着替えて、帽子もかぶってゴロゴロ…と、ベッドのまま運ばれる、よくテレビでもやっている、あんな感じだった。
部屋から出て、手術室の階に向かうエレベーターの前で待っていると、夫が会社から病棟に到着したところで、バッタリとはち合った。

「おぉ〜! keikei、間に合った! がんばってな!」と握手をした…。その時は、さすがにちょっと涙が出そうだったよ…。心細い。

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