1999年 春  と 夏   

    

↑ 1999.3.22.  お宮参りです… 兵庫県 西宮市にある西宮戎(えびす)神社。通称 『 えべっさん 』ママもここで宮参りしました。


最近では、毎年1月10日の神事 「戎開門神事福男選び」 ⇒本殿までの230メートルを全力疾走し、一番福の栄誉を獲得する行事でずいぶん有名になりました。
実はこの西宮戎神社が祀っているのは 蛭児命、この子はイザナギとイザナミのミコトの最初の子は不具者であった為、川に流し、ここに流れ着いた…という
神話があるのです。蛭というのは、蛭のようにぐたっと、手も足も使えない、そういう不具者を形容しているらしく… 当時はそんなことは知りませんでした

右: 入院していたのが嘘の様に幸せな春…お花見の様子〜… まだまだ 小さな 小さな生まれたてのような大きさ。生まれてからは4ヶ月、本来なら2ヶ月だもん。  



   平 和 だ っ た 春 と 夏  



退院してから、初めての子育てで 大変だったけど楽しかった。とうぶんは実家生活を続けていた。大変だったのは思うように
寝てくれなかった事…。 よく、お腹の上に乗せて一緒に寝ていた。1ケ月検診も なんなくクリアできて ひと安心だった…。
3月末の「お宮参り」は札幌から夫の家族も来てくれた。 なぜか、またまた嵐のような春の風の中でのお宮参りとなった…笑 

大きな行事を終えて、やれやれ・・・と思っていたら、強く泣くとおちんちんが腫れるのに気がついた…。おちんちんが   
破裂するのではないか…と 思う位の腫れ方なので、受診すると、そけいヘルニアという症状で、放っておいても良くは
ならないということで 連休あけに 神戸市のこども病院で手術をすることになった。こんな小さいのに手術をするとは…
本来なら1泊2日くらいで帰れるような簡単な手術らしいけれど、生まれた時のこともあるし、まだ小さいので2泊3日の日程…。
完全看護の病院なので、面会も思うようにできず、1日1回しか会いに行けず、淋しかったし心配で心配で…笑 元気に退院。

初夏の頃 私はなんか体調が悪いなぁ…と、思っていたら なんと! 2人目の妊娠がわかった。これから幸希とゆっくりと
楽しい時間を過ごしたいと思っていた矢先に…お腹の赤ちゃんには申し訳ないが、心から 「嬉しいーーーっ」 とは…(笑)

 お ま け の 話 ・・・そ の 頃 の 夫  

当時 夫は夫で、 『 ナスダック ジャパン 』とかいう会社の説明会に参加していて 燃えていた…。幸希が生まれた時
「オレも頑張らなくちゃ」 とか 「これから子育ては大変になるぞ…」とか、何かが胸の中に芽生えたらしかったのだ…。
私は そのナスダックに関連して「ソフトバンクって、どこかの外資系の銀行なのかな…?」 位のことしか思っていなかった。
そもそも、その気持ちが 起業とか独立に繋がっていったらしいんだけど…そういえばいつもパソコンの勉強をしていたけど。







「インターネットを使う会社」って どんな会社なの?  ← 当時のセリフ。今となってはちょっと ヘンなセリフかも…。

うちには、当時30万円近くもした Mac (LC 630)が1台あって、すでにネット環境はできていてインターネットや メールも 
やっていたけど、その遅さと言ったら…受信を始めてから ちょっとした家事が出来る程。その合い間に、受信できたか覗き覗き
だったから それで一体何をするのか 仕事になるのか… はっきり言ってよくわからなかった。正直、私は幸希の事と2人目の
妊娠で 頭が一杯だった…。  ちなみに当時 メール交換していたのは 台湾に住む台湾人の友人だけで、さすがIT先進国だね
添付画像もやりとりしてたけど… 受信するのに時間がかかったなぁ〜 笑  当時、なんと携帯電話も持っていなかったしね…。


その後… 幸希はちゃんと 4月にはあやすと笑い、5月には 首も座って 手を口に持っていって遊んだりしていた。そして8月には
離乳食も食べるようになり 飛行機にのって、夫の実家の札幌にも行った。特に体調を崩すこともなく、元気な子という感じがした。

未熟児で頑張ってきた事を肥やしに誇りに、頑張っていこう。ただ『寝返り』が いつまでたってもできなかったのが気がかり…

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